3年半前、奈良県御所市で困っていた知り合いを助けるために重機を運転した男性が、運転免許の取り消し処分となりました。「人助けのためにしたのに…」納得がいかない男性は処分の取り消しを求め提訴しました。その後、1審・2審共に訴えを退けられた男性は、最高裁に上告していました。その後の裁判の行方、免許の再取得に向けた男性の思いなどを取材しました。
キャタピラ切れたコンバイン『引き上げて』知り合いから頼まれショベルで引き上げ
奈良県御所市の田園地帯。地元で30年以上、建設業を営んできた高田浩一さん(59)。3年半前の10月、知り合いから助けを求められました。
(原告 高田浩一さん)「近隣の86歳の知り合いが、うちに『助けて』と来られました。稲刈り途中に、コンバインのキャタピラが切れて動かないようになったと」
高田さんはショベルカーで田んぼへ向かい、コンバインを引き上げ、自身の倉庫に戻りました。高田さんが走行したのは幅2.5mにも満たない狭い道、そこを約1.5kmにわたり走行し、速度は時速2kmほどで走行したといいます。
(高田さん)「わらにもすがる思いでうちに来られたと思いますので、やっぱりお互いさまだし、『すぐ行きます』と言葉が出ましたからね。道から田んぼの中に入りまして、向こうにあったコンバインを吊って手前まで持ってきました」
本来ショベルカーを公道で走行するには、大型特殊自動車という運転免許が必要になります。しかし高田さんはこの免許を持っていませんでした。このため、奈良県公安委員会は2年間の運転免許取り消し処分としました。
(高田浩一さん)「ほとんど無収入の中で、貯蓄を切り崩していままで来た。『あなたが起こしたことは罪や』と言う人もいました。しかしながら、そうじゃないと思います。人が『助けて』と自分に求めてこられたら、やっぱり素直に助けてあげるっていうのが、善意の心を持っていたら当然の話だと思います」
ショベルは「建設機械」と訴えるも「緊急性はない」と1・2審の訴え棄却
高田さんのショベルはキャタピラが付いており道路交通法上、公道を走行することはできません。しかし、高田さんはパワーショベルは「建設機械であり自動車ではない」とし、走行時も危険性が低く、処分は「裁量権の逸脱」だとして、2021年に奈良地裁に処分取り消しを求めて奈良県を提訴していました。
1審の奈良地裁はパワーショベルは「大型特殊自動車」にあたり無免許運転と判断。そのうえで「ショベルカーを無免許運転することがやむを得ないと評価できる緊急性があったとは言えない」などとして高田さんの訴えを棄却しました。高田さんはその後、大阪高裁へ控訴しましたが、同様に「緊急性があったとはいない」として、退けられました。
運転免許の取消し期間を終え 免許を再取得へ
高田さんは高裁の判決が終わった去年4月下旬ごろ、2年間の免許取り消し期間を終え、免許の再取得に向けて動き出しました。
取り消されていた2年間、高田さんは交通の便が良いとは言えない地域に住んでいたため、これまで車で約15分~20分かけて行っていた買い物や通院などをしていました。しかし、免許取り消し後は1時間に1本しか来ないバスを利用していくことになり、時間がこれまでの4倍かかるなど、生活面での負担は大きかったということです。
また、高田さんは元々建設業の仕事をしていましたが、重機や車を日常茶飯事のように使用していたため、ほぼ仕事ができない状態になりました。こうした中、精神的に追い詰められ眠れない夜もあったといいます。
(高田さん)「仕事も出来なくなり来る日も来る日も我慢しても改善しない日々に、次第に精神的に落ち込み眠れない日々が続きました。裁判の結果はどうであれこの辛い生活から抜け出すには、再取得する以外方法は無いと思いました。私の人生の中で忘れる事の出来ないであろう約2年でした」
この状況を打開するには 「免許の再取得しかない」。高田さんはこの思いで自宅から約30キロ離れた自動車教習所に、約1時間かけて(教習所専用の)バスで通学しました。授業は休まず約2か月間の通学を経て、普通自動車免許などを再取得しました。さらに「同じ苦しみを味わいたくない」という気持ちで、ショベルが公道を走るために必要な「大型特殊自動車」の免許も取得しました。
建設業の仕事を再開するも、年収は取消し前の”半分以下”に
免許を再取得した高田さん。以前やっていた建設業の仕事を再開しましたが、取り消し前の状態のように仕事の数は思うように戻りません。その影響で、年収は取り消し前と比べて『半分以下』になったということで、『一度失った信頼を取り戻すのは難しい』などと話します。
(高田さん)「免許が取り消しになったこの2年で、仕事の相手先が他の業者を使うようになってしまい、収入は半分以下になってしまいました。相手先も私に対して良くない印象になっていて、客を取り戻すのは困難です」
高田さんは、毎月貯金を切り崩しながらの生活が続いていて、免許を取り消された影響は甚大だと言います。
(高田さん)「貯金は5分の1ほどに減ってしまいました。これまで建設業一筋で仕事してきましたので・・・なかなかこの年で違う仕事というのも難しいと思っています。そのため今の仕事で少しずつ収入が戻るように一生懸命に働いています。しかし取消しになった影響は仕事面でも生活面でも大きいです。」
「誰よりも免許を大切にしてきた」高田さんは上告を決意
高田さん側は、大阪高裁での判決を不服として、去年4月末に上告しました。その際、高田さんは次のように上告への決意について話していました。
(高田さん)「私が今上告を決めたのは、若い頃から2年前まで大型免許を含め、誰よりも免許を大切にしてきたと思っているからです。人助けをしたのになぜ…と苦しむ日々は今も続いていますが、このままでは取り消された免許が、自分の罪の代償として受け入れなければならなくなってしまいます。パワーショベルが特殊自動車に該当した時の矛盾も含めて、今回上告を決断しました」
最高裁は上告を棄却「苦しみぬいた約3年間」でも「目の前の困っている人を助けたい」
免許を再取得し仕事も再開し始めていた高田さん。祈るような思いで、最高裁の判断を待っていました。しかし・・・。今年1月18日付けで、最高裁は高田さんの上告を棄却する決定をしました。決定の通知を受けて、MBSの取材に高田さんは次のように話しました。
(高田浩一さん)「法律は何のためにあるのか? 疑問とともに苦しみぬいた約3年間でした。善意で行ったことが罪とされ処罰を受けたのに、法のテーブルにも上がらなかったこと、それは残念でなりません」
高田さんは一連の裁判結果を受けて「法的には処罰を受け入れなければなりません」と話しました。最後に、これからも”人助け”を行なうかどうかについて聞くと、悩まずに「これからも目の前に困っている人を助けていきたい」と答えました。