作家の岸田奈美さん(29)。障がいのある家族との日々をインターネット上に綴ったエッセイがきっかけとなり作家になり、経済誌Forbesの“世界を変える30歳未満の30人”にも選ばれた。ユーモアを交えて優しく語る彼女の文章は多くの人たちの心に響いている。

岸田奈美さんの家族

作家・岸田奈美さんは、東京を拠点に執筆活動をしていた暮らしをやめて、今は神戸の実家に戻ってきた。今年3月の取材の日、奈美さんは食事の準備をしていた。
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弟・良太さん(25)はダウン症。祖母の弘子さん(79)は最近急に物忘れが激しくなった。
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父の浩二さん(享年39)は心筋梗塞で奈美さんが中学生のとき他界。

その3年後、母・ひろみさん(52)も大動脈解離で下半身麻痺の車いす生活に。それでも母は仕事をこなしながら、おばあちゃんと弟と暮らしてきた。しかし今年2月、心臓が細菌に侵される感染性心内膜炎で入院。だから奈美さんは実家に戻ってきた。家族を支えるのは彼女しかいない。
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病院にいる母とテレビ電話。

 (奈美さん)「良太がごはん作った」
 (良太さん)「病院終わった?」
(ひろみさん)「ここまだ病院」
 (良太さん)「もうちょっとか」

岸田奈美さんが書く「家族との日常」

母や弟の役に立ちたいと障がい者福祉の企業で働いた。けれど、自己肯定感が低い性格からか、3度の休職をするなど、今度は自分がダメになった。奈美さんが文章を書き始めたきっかけは休職中に書いたSNSへの投稿だった。さらにブログサイトで障がいのある家族の日常を日記形式で描き、次々に読者が増えていった。
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≪岸田奈美さんのnoteより一部抜粋≫
【弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった】

「良太が万引き?あるわけないやろ」

この手の岸田家大騒動は、本気にしてなかった。
どうせ勘違いだろうと。

良太が気まずそうに紙を取り出した。
コンビニのレシートだった。

「良太お前これ大丈夫なやつやんけ!」

万引きじゃなかった。
岸田家に、一筋の光が差した。

レシートの裏面には
「お代は、今度来られる時で大丈夫です」と書かれてた。

……大丈夫ちゃうやんけ!!!!
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コンビニへ到着するなり、母が「すみません、すみません」と頭を下げた。
それはもう、めちゃくちゃに下げまくった。
のちの、神戸市北区の赤べこ事件である。

そしたら、あーた!

店員さんってば「息子さんは喉が乾いて困って、このコンビニを頼ってくれたんですよね?頼ってくれたのがうれしかったです!」って。

え?天使?

この時の店員さんの笑顔を、母は一生忘れないと言った。

帰ってから良太は、赤べこからバチボコに叱られてた。
めでたし、めでたし。
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(作家・岸田奈美さん)
「面白い、テンポがいいって言ってくれて。自分がいいな誇らしいなと思ったことを人に自慢したいっていうか、一緒に面白がってもらうことで、ちょっとずつ自分の自信が回復していったんですよね」
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ブログサイトに書いたエッセイは書籍化されるほどの人気に。「文章の力によって社会問題や生き方を考えるきっかけを多くの人々に与えた」と評価され、経済誌「Forbes」の「世界を変える30歳未満の30人」にも選ばれた。会社を辞めて作家になったのは昨年のことだ。

先生からの忘れられない言葉

雨が降る中、良太さんと歩く奈美さん。すると良太さんは目の前を通ったトラックに頭を下げた。

(作家・岸田奈美さん)
「(トラック運転手に)めっちゃ頭下げてる。大抵のものに頭下げるんですよ」

奈美さんが小学校1年のとき、親から「弟がダウン症」と教えられ、一晩中泣いた。弟が小学生になったときに「みんなで面倒を見てあげましょう」と先生から言われた日のことは忘れられない。

(作家・岸田奈美さん)
「ちょっと人よりも覚えたり動いたりするのが苦手なだけなので、“かわいそう”とか“大変”とか思ったことないのに、それを勝手にみんなの前で“大変そう”って決められたのがめっちゃ嫌だったんですよ」

その時から弟への愛情は人一倍だ。

母の退院の日

3月31日、母・ひろみさんが2か月ぶりに退院する日がやってきた。良太さんも一緒に迎えに。そして3人でタクシーに乗った。
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その日の日記。奈美さんの視界には、やはり弟・良太さんがいた。

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≪岸田奈美さんのnoteより一部抜粋≫
タクシーに乗ったら、わたしと弟は秒で寝落ちしてしまった。

家について、せっせとご飯を作った。

母の帰還でなんかそわそわする岸田家のなか、唯一の通常運転だったのが、爆睡柱(ばくすいばしら)こと、岸田良太だ。
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取材のカメラが入ってるのに、こんなに堂々とカウチスタイルをとれる人、いるんかな。才能じゃないか。いつまでもマイペースなので、慌ただしいわたしは心底うらやましいなと思った。
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母と良太さんの「聖火リレー」

退院して2週間が経った4月14日。特別な日が訪れた。向かう先は万博公園。母・ひろみさんが聖火リレーの走者に選ばれていたのだ。

(母・ひろみさん)
「元気でいるよということを見てもらえたらなっていうのがあって。きょうに備えてリハビリも頑張りました」
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母の車椅子を押すのは弟の良太さん。ふたりで走る。それをゴール地点で待つのが奈美さんだ。

(ひろみさん)「ちゃんと押して走るのかが心配。さっき無理って言ったよね」
(奈美さん)「『無理』って言った。『危ないので』って言った」
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良太さん、座っておにぎりを食べていた。

(奈美さん)「『お腹が減りましたので走れません』って言われたので。何とかして。お母さんはあんなふうにやってるのに」

そして、いよいよひろみさんと良太さんの出番。ゴール地点で待つ奈美さんはスマートフォンの画面で2人を見守る。
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(奈美さん)「良太押さないって言ってる。がんばれ、がんばれ。押して押して。あー無理か無理か。いけるかな?あー押してる押してる。歩いてる」
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そして、2人が奈美さんの目の前に到着。手を振って出迎える奈美さん。

(奈美さん)「遅い。ははは。りょうた~」
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≪岸田奈美さんのnoteより一部抜粋≫
想定の6倍くらい遅いし、なんだったら伴走の人たちもみんな、歩いてるけど!弟はハアハア言ってるし、母の聖火を持つ手はプルプル震えている。誰がなんと言おうと、二人は走っている。がんばってる。二ヶ月前まで、感染性心内膜炎で死にかけとった母が、弟と、走っとる。わたしは爆笑している。たぶん、ちょっとだけ、泣いてる。
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母の入院以来、家族が困って慌てふためいた状況を書き続けた日記が、1冊の本になることになった。タイトルは『もうあかんわ日記』。

「家族を愛するために、自分が心の余裕を持って生きる」春の決断

奈美さんは、この春、ある決断をした。弟はグループホームに。おばあちゃんはデイサービスに通うことになった。そして、自らも仕事に集中するため、家を出て、京都へ移ることに。家族の距離は遠くなる。

(作家・岸田奈美さん)
「人に優しくする、家族に優しくする、家族を愛するってすごく大事だと思うんですけど、優しくしたり愛したりするのって、自分に心の余裕がないと絶対できないんですよね。だから愛するっていうことは、ずっと四六時中一緒にいて責任を持って受け入れるってことじゃなくて、自分も相手も心の余裕を持てる距離を探るということだと思った」

家族を愛するために、自分が心の余裕を持って生きる。「もうあかんわ」という経験を乗り越えて見つけた答えとともに、彼女はずっと、家族とつながっていく。

(5月27日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」内『コダワリ』より)