1980年に創立した『奈良県立平城高校』は県内有数の進学校として知られています。さらに部活動も盛んな“文武一貫教育”を推進する高校です。特にテニス部は、ほぼ毎年全国大会に出場する強豪です。しかし、奈良県の高校再編計画により今年度限りで閉校します。この夏「母校の期待と歴史」を背負い、たった1人で大舞台に立った3年生のテニス部員を取材しました。

たった1人の部員…指導歴40年の監督とマンツーマンで練習

平城高校3年テニス部の蓮見友羽君。彼には共に汗を流すチームメイトはいません。たった1人の現役テニス部員です。

(平城高校3年テニス部 蓮見友羽君) 
「もうみんな引退したので、そのときにマジで泣きそうになりましたね」
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奈良県立平城高校テニス部は、かつては40人以上の部員を抱える全国有数の名門でした。しかし、奈良県の再編計画で学校は今年度いっぱい(来年3月)で閉校します。学校に1年生、2年生はいません。同級生も早々に引退した中、蓮見君はシングルスで奈良県大会優勝、全国への出場が決まりました。
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マンツーマンで指導をする前川恭彦監督(63)。公立校から多くの選手を全国に送り出した名監督です。前川監督は平城高校の教員でもあります。指導歴40年の前川監督も、閉校とともに今年度で教員生活を終える予定です。最後の教え子、蓮見君には特別な想いがあるそうです。
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(平城高校テニス部 前川恭彦監督)
「(蓮見君が)もうなくなる学校だと分かっていて入って、しかもその中でテニスをやるんやと。ものすごくありがたいことだと思っています。うれしいです、正直」

蓮見君は監督がいないときは、1人で黙々とトレーニングをします。新型コロナウイルスの影響で対外試合はなし。1人きりの練習では焦りばかりが募ります。部活を引退して受験勉強に励む同級生の前で、思わず本音がこぼれます。
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(同級生らに話す蓮見友羽君)
「夏休みテニスしにこいって。俺1人でずっと部活をやって、みんなそのとき勉強をしていて、ほんで(インターハイの)土産は買ってこいって。なにそれ?」

OBが"練習相手"として蓮見君を応援 激励の寄せ書きも

平城高校を背負い、最後の舞台に立つ蓮見君に寄せられる期待は大きいものです。平城高校テニス部の歴代OBから、蓮見君に寄せ書きが届きました。
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(平城高校3年テニス部 蓮見友羽君)
「僕が知らない代ばかりですよ。本当に(年代が)めちゃくちゃ上なんですね。僕が生まれた年の人の書き込みもありますね。自分の知らない所にも自分を応援してくださる方が思ったよりも多くて。だからその『おめでとう』のひと言がすごくうれしい」
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現役の大学生など、年齢が近いOBらが練習相手として集まりました。学校をあげて最後の現役部員を支えます。
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(平城高校テニス部 前川恭彦監督)
「今日はね、たくさん(OBが)来てくれている。うれしいですよ。私のへなちょこボールを打つよりも、若いイキのええ球を打った方がずっと彼にとっては役に立つやろう」

ガラガラのテニスコートが久しぶりに賑わいました。

いつしかOBたちの応援や期待が『重圧』に…

一方、蓮見君は県大会で優勝を決めたときの自分のプレーを見失っていました。その様子を見た前川監督が蓮見君に声をかけます。

(平城高校テニス部 前川恭彦監督)
「3球ラリーしっかりやってみ。お前3球以内に全部ミスをしている。3球頑張れって言っているやんか」

OBたちは蓮見君に期待の意味を込めて次のように話しました。
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(平城高校テニス部 OB)
「最後の平城高校の意地を見せてください。これだけみんなにフォーカスされて、緊張する部分はあると思うけど、みんな応援してくれているし、それを自分の力に変えてもらって」

しかし、OBたちの言葉は、いつしか“重圧”に変わっていたのです。

ある日、蓮見君は心の中に留めていた思いが溢れて、OBらに次のように語りました。
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(蓮見友羽君)「僕が絶対部活の練習を減らせない理由はね、平城“最後”なんですよ」
   (OB)「そんなに背負わんでいいやろ」
(蓮見友羽君)「変な試合できないじゃないですか、周りがこんなに良くしてくれるのに」
   (OB)「そんなことないって」
(蓮見友羽君)「期待されたら、いい加減なことできないじゃないですか」
   (OB)「誰も蓮見にスーパーショット打てなんて言ってないよ。蓮見がテニスをしてくれたらそれで良い」
   (OB)「蓮見が出ていることが俺らはうれしいからさ」

自分らしく『最後は楽しかった』と終われるように

全国大会まで4日。蓮見君は日記を見返して、気持ちの整理をしていました。

(蓮見友羽君)
「『自分にとってテニスとは娯楽であり、勝つことは義務ではないし、負けることで失うものもない。最後は楽しかった!と終われればそれでいい』と書いています」

最後の大会、自分らしく楽しもうと心に決めました。

迎えたインターハイ本番「最後まで戦い抜いた」

そして、長野県松本市で行われるインターハイ出場の日が来ました。試合前、前川監督が蓮見君にそっと話しかけます。

(平城高校テニス部 前川恭彦監督)
「みんな緊張する。いけるって、お前は。ここまでやってきた子やからトレーニングを。自分で黙々とやってきたやんか」

奈良県代表、そして平城高校テニス部最後の1人として臨んだ大一番。千葉県にある東京学館船橋高校の石井英慈選手との試合が始まりました。

試合序盤、得意のサーブがなかなか決まりません。全国トップレベルの相手に圧倒される試合展開が続きます。

その後、自分のプレーを取り戻した場面もありましたが、0対6で石井選手に敗れました。
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後悔がないとは言えないけれど、最後まで戦い抜きました。
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(蓮見友羽君)
「最後の平城高校だからこそ、良いプレーで終わりたいという気持ちがすごく大きくて。あんまり自分が思い描いたようにはいかなかったので。後悔をしますけど、一生僕の宝物にしたいです」
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奈良県立平城高校テニス部。このクレーコートから多くの選手が全国に羽ばたきました。42年分の歴史を背負って戦った蓮見友羽君が“最後の部員”です。