コロナ禍で仕事が減るなどして生活に困る人たちが増える中、本来であれば『生活保護』を受給できるにもかかわらず、マイナスなイメージを気にして申請をしない人たちもいます。苦しい時に生活を下支えしてくれる生活保護制度を利用したことで、人生を再出発させることができた人たちを取材しました。改めてこの制度の必要性を考えてみたいと思います。
「コロナ」「持病」などで生活に困窮する人たち
今年9月、午前6時ごろの大阪・中之島。約30人が列を作っていました。
(列に並ぶ人)
「仕事の時間が減らされた、コロナの影響で。しんどいね、やっぱり、コロナは」
「(コロナで)仕事がないんじゃ。仕事のしようがない。金が入ってくるところがない」
彼らが待っていたのは“炊き出し”です。中之島にある「大阪北教会」が2週間に1度、生活が苦しい人たちに朝はパンやバナナ、昼は手作りのお弁当といった食べ物を渡しています。
列に並んでいた42歳の男性は、鉄工所で機械の整備などの仕事をしていましたが、くも膜下出血で倒れ生活は一変しました。
(男性(42))
「(子どものことを)思い出しますね、やっぱりね。あの頃はみんなかわいかったですよ」
以前は妻と子ども2人と一緒に暮らしていましたが、『家族に自分の看病は任せられない』と感じて離婚。2年前から公園で路上生活を始めました。病気を機に十分に働けなくなったことから本来は生活保護を受けることもできますが、男性は次のように話します。
(男性(42))
「(生活保護を受けるのは)本当に病気でしんどくなった時かなって。よく分からないですよね、(生活保護を)受けるのがほんまに幸せなのか、ほんまの意味で」
生活保護の申請が増えない理由「生活保護を使いたくない」忌避感
厚生労働省の調査によりますと、全国の生活保護の申請件数は、今年5月から7月までの3か月間で、毎月約1000件ずつ増えているということです。新型コロナウイルスの影響で生活に行き詰まった人が増えていることが背景にあるとみられています。
しかし、生活困窮者のサポートを手がける小久保哲郎弁護士は、「困窮者の声のわりには申請件数が増えていない」と指摘します。
(小久保哲郎弁護士)
「(理由の)1つはやっぱり“忌避感”、生活保護は使いたくないっていう、忌避感ですね。生活保護を受けると、人間自体がだめになってしまうかのように誤解している方が多いんですけど、一時的にそういう必要な支えを受けて、そしてまた再出発する人もたくさんいますから。そういう形でぜひ権利として生活保護を利用していただきたいと思いますね」
「生活保護をもらうのも1つの選択肢」配達員の仕事をして再出発
取材班は、実際に生活保護から『再出発』できた人たちを取材しました。大阪市内を中心にフードデリバリーの仕事をしている32歳の男性です。
去年8月に男性のSNSへの書き込みに注目が集まりました。男性は、SNSのアカウント名を略して“西パン”さんと呼ばれています。
(西パンさんのSNSへの書き込み)
「生活保護脱出を目標に頑張ってきて、目標達成することができました」
介護士として働いていた8年前、転勤先での1人暮らしになじめず出勤ができなくなり、気分が大きく上下しやすい「双極性障害」と診断されました。そのため定職に就けず、27歳で生活保護を受けることになりました。
(西パンさん)
「まだ20代という若さで、みんなバリバリ働いているときに、福祉(生活保護)をもらうことに対して抵抗はありましたね。自分の弱みは(病気で)毎日出社できないというところだったので、『何か(仕事が)ないかな』とずっと探していたけんですけど、なかなか(自分に合った仕事が)なくて」
そんな中、去年2月に目に止まったのが「フードデリバリー」でした。
(西パンさん)
「自分の体調に合わせて仕事ができるというのがあったので。それが1か月、2か月くらいで(自立まで)行けるかもしれないという可能性を感じたので」
体調と相談しながら少しずつ始めた仕事。当時の西パンさんを知るクレープ店「アンクープルアングレカム」の龍田雄一店長は次のように話します。
(アンクープルアングレカム 龍田雄一店長)
「西パンさんはめちゃくちゃシャイなので、最初来られた時も『ミックスジュースとプリン』って言って買って、ここ(店の前)で待っててくださったらいいのに、なぜかそこ(店から離れた場所)までずっと1人で」
(西パンさん)
「その当時は、あまり人と話すのが自分にはまだ難しい時だったので」
西パンさんの心の支えになったのが、自身の日常を綴ったSNSへの“応援コメント”でした。
(西パンさんへの応援コメント)
「応援しています!素晴らしいことだと思います」
「頑張り屋さんやなあ!」
コロナ禍での宅配需要の高まりも相まって、月収は20万円を超えました。そして、去年8月、大阪市に「自立できる」と判断され、生活保護の廃止が決まりました。
(西パンさん)
「今のコロナで仕事もない状況で、福祉(生活保護)をもらうのも1つの選択肢じゃないのかなと思います」
「『悪いことじゃないよ』と伝えたい」
大阪府枚方市で広告代理店「プチクリエイト」を経営している松尾勝代さん(56)。
専業主婦だった20年ほど前、当時の夫が浮気をして突然家を出ていき、3人の子どもとともに路頭に迷いました。子育てをしながら安定した収入を得られる仕事はすぐには見つからない。そんな中、偶然知り合った市議会議員にすすめられたのが『生活保護』でした。
(松尾勝代さん)
「『あなたは今までいろんな形で税金を払ってきているはず。その社会が作った制度なんだから、あなたのための制度よ』と言われて。もう目からうろこでした」
こうして、松尾さんには毎月約20万円が支給されることになります。ただ、気持ちは複雑でした。
(松尾勝代さん)
「生活保護を受けている自分を、みじめだと思っていたんでしょうね。だからそう見られたくないという気持ちがあって平気を保っていて、笑顔を作っていたという感じだったと思います」
生活保護を抜け出すため、松尾さんは子育てしながらでもできる“手書きのチラシ作り”で生計を立てようと考えました。
(松尾勝代さん)
「自転車で営業していたんですけど、前かごと後ろに子どもを乗せるところに『こういうPOPを描きます』って自分で手書きしたものをパウチングして。『こんなん描けるんです』、『良かったら描きますけど、今だったら安くできますよ』みたいな感じで(お店に)飛び込んでいましたね」
チラシ作りの依頼は徐々に増えて、さらにホームページの制作など仕事の幅を広げることで、10か月で生活保護から抜け出すことができました。
松尾さんは「辛いときこそ、生活保護に頼ったほうがいい」と話します。
(松尾勝代さん)
「本当に、まじめな人ほど思いつめると思うんですよ。まじめな人ほど自分が悪いと思うんですよ。『ちょっと逃げたらいいやん』、『それは悪いことじゃないよ』ということを伝えたいですね」