MBSでは毎月1回、日曜日の深夜に1時間のドキュメンタリー番組『映像シリーズ』を放送しています。今から41年前、1980年に放送が開始されて、12月5日(日)の放送で500回目を迎えます。戦争、公害、人権、教育などこれまで様々なテーマに挑戦してきました。12月5日(日)に放送される「映像’21 500回スペシャル~時代を映し続けて~」では、日本や世界で起こった問題や事件を振り返りながら、その時代に放送した『映像シリーズ』を紹介します。その一部を取り上げました。
【第1回】映像’80「6歳未満 沖縄・戦災傷害者の証言」1980年4月放送
1回目の放送は41年前の1980年4月。テーマは「沖縄の戦災傷害者」でした。
(子ども 1980年4月の放送より)
「(Q戦争ってどう思う?)やっぱり嫌い」
「人が死ぬから、よくない」
(新川トミ子さん 1980年4月の放送より)
「毎日戦争の話、尽きないです。子どもが質問します。母の目はないけれど。大体(義眼は)取っているので…。(義眼を外しながら)こうして取れるわけ。こんな状態で生活していますからね」
【第119回】映像90「物語としての建築~高松伸の世界~」1990年3月放送
番組では戦争・差別・労働・家族、それぞれの時代に刺さるテーマを切り取ってきました。1990年代は、「バブル経済全盛と崩壊の時代」です。番組では、大阪・ミナミのど真ん中に超個性的なビル『キリンプラザ大阪』を建てた建築家・高松伸さんを取材しました。
(建築家・高松伸さん 当時41歳 1990年3月放送より)
「点のような場所であると気がついたときに、一気にかたちが見えたんですね。同じ顔を全部の方向に持った建築を、途端に思いついたんです。建築は都市を批評的に可視化してると思うんですよ。建築は都市を批評しながら、都市を見せていると思うんです」
30年後の高松さんを番組が取材
12月5日放送の番組では、登場人物の30年後の「今」についても、取材しました。バブル時代、大阪・ミナミの象徴だった『キリンプラザ大阪』の跡地には30年後の今、別のビルが建っています。
番組の取材班は、11月に再び高松さんのもとを訪れました。高松さんの事務所には、今も『キリンプラザ大阪』の模型が飾られていました。
(建築家・高松伸さん 73歳)
「(Q『キリンプラザ大阪』は思い入れの深い建物?)そうですね。キリンが芸術をバックアップしているということを、その意味と価値を発信しようと、その思いをもとに造られた建築なんですね。その後、紆余曲折があってキリンも撤退する。当然のことながら(建物の)役割を終えると。僕自身にとっては納得のできる状況でしたね。(Q今の日本は建築家にとってはつまらない?)つまらなくない仕事もありますけどね。僕自身は、スタンスを極めて明快にしておりまして、日本であまり仕事をしないんです」
【第287回】映像’04「負けへんで!~西宮冷蔵・告発のゆくえ~」2004年4月放送
2000年代になると、小泉内閣のもと「聖域なき構造改革」が叫ばれる一方、「企業の不祥事」が相次ぎました。2002年1月には、西宮冷蔵の社長が当時の大口顧客だった雪印食品の牛肉偽装を内部告発しました。
(西宮冷蔵・水谷洋一社長 2004年4月の放送より)
「この(箱の)中身は、私どもの知る限り、オーストラリアの牛肉でございます。が、外ケースは、詰め替えられました結果、国産和牛として流通に乗せられる状態」
(2004年4月の放送より)
―――狂牛病問題で政府がスタートさせた国産牛肉の買い取り制度を悪用した雪印食品による補助金詐欺事件でした。しかし、雲行きが怪しくなってきたのは、その年の夏頃です。西宮冷蔵が雪印から要請され、偽の在庫証明を発行したのは、「倉庫業法違反にあたる」と、国が主張し始めたのです。荷物を満載したトラックが出入りする光景は、もう見ることができません。会社は廃業、社員たちも全員解雇。残ったのは13億円にも上る借金だけでした。
2004年4月の番組では、水谷さん(当時50)が「まけへんで!!西宮冷蔵」という旗を掲げて歩道橋に座り込んでいる様子が放送されました。
【歩道橋でのやりとり 2004年4月の放送より】
(男性)「コレ、雪印の牛肉のほうや…。雪印の牛乳はどうなった?」
(水谷さん)「牛乳は『メグミルク』っていう名前に変わりました」
(男性)「メグミルク?あれも告発か?」
(水谷さん)「あれは食中毒」
(男性)「メグってどんな字書くの?」
(水谷さん)「カタカナ」
告発から20年…番組が水谷社長を再び取材
告発から、まもなく20年。取材班は、11月、改めて水谷社長にインタビューしました。
(西宮冷蔵 水谷洋一社長 68歳)
「正義が不正義に負けてなるものか!というのを、わが生涯をかけて若い人たちに教えたい。やってはならないことは、絶対やってはならない。そこに正義とか社会悪という、白・黒という歴然とした問題が、まったく存在しえなかった日本国なのかなと。また日本人なのかな」
【第464回】映像’18「バッシング~その発信源の背後に何が~」2018年12月放送
2010年代は、「アベノミクスの時代」です。安倍政権のもと経済、教育、思想、ネットを中心に垣間見える分断の行く末はまだ見えません。
(2018年12月放送より)
―――民主主義の土台が今、ぐらついている。議論を重ね物事を決定していくプロセスこそが重要であるはずの、民主主義。しかし、対話どころか決めつけや極論が飛び交う空間で、バッシングが燃え盛る。相手は敵か、それとも味方か。言葉の応酬は過激に、攻撃的になっていく。劣化する言葉の数々。
当時番組が取材した、バッシングを受ける大学教授たちは、2018年12月の放送で次のように話していました。
(法政大学教授 2018年12月放送より)
「絡んでくるような人が使うような言葉じゃないですか。『噴飯ものだよ』とか。これで『法政の教員かよ』みたいな。私のところに来るのって、そういう感じのものなんですよね」
(大阪大学教授 2018年12月放送より)
「匿名で誹謗の電話だとかメールだとかが入っているようですけど。私がターゲットにされていて言うのもなんですけれども、『ああ、この人たちは気持ちいいんだろうな』って、発言の端々を見て思いますね」
【第483回】映像’20「コロナ禍と闘う行政」2020年6月放送
そして、時代は2020年代に。「WITHコロナの時代」です。
2020年6月の放送では、ある病院でコロナ対応にあたった看護師を番組で取材。感染者数が急増した時期の病院の様子を次のように語っていました。
(看護師 2020年6月の放送より)
「(Q肺はどうなっていますか?)CT(コンピュータ断層撮影)見たらね、すぐコロナ患者さんのCTとわかって、モヤモヤとした影なんです。それがブワーっと増えてきていて、はじめはそんなに息苦しいと言いはらへんのです。ちょっと息苦しいって言いだしたら、もう命が危ない感じで、人工呼吸器につながないと自分では呼吸ができない患者さんが。(Q医療崩壊は頭に?)ありました、はい。人工呼吸器の数は限られているので、このまま(容体が)悪い患者さんが増えると、この方は人工呼吸器につなげるけどこの人はつながない、ということになったらどうしようというのはありました」
時代を映し続けて、500回。振り返ると、その時代、その時代が、人や社会とともにどのように動いてきたかが見えてくるのではないでしょうか。
【映像’21 500回スペシャル~時代を映し続けて~】
12月5日(日)深夜0時50分放送