新型コロナウイルスの「オミクロン株」の感染急拡大で、政府は3回目のワクチン接種を前倒しで進めています。そこで浮き彫りとなったのが“国産ワクチン開発の遅れ”です。現在、国内で使われているコロナワクチンはいずれも海外製です。メーカーの開発が遅れる背景には、過去最悪と言われた70年以上前の「ワクチン接種事故」が関係していました。

海外製に頼るしかない「コロナワクチン」

大阪市都島区の「ごとう内科クリニック」。1月24日から新型コロナウイルスの3回目の追加接種が始まりました。

(クリニックを訪れた人)
「ここ数日、東京で1万人近く感染者が出ていますね。だから早く打ちたいなという気持ちは強かったですね」
「去年4月27日が2回目(接種)でしたから、たぶん抗体はなくなっているんじゃないでしょうか」
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クリニックに供給された「ファイザー製のワクチン」は3回目として入荷したものではなく、去年の1回目・2回目接種で余ったものです。オミクロン株の拡大で国は接種の前倒しを進めていますが、入荷はまだ先になるといいます。

(ごとう内科クリニック 後藤浩之理事長)
「(2回目接種後)8か月あけて接種すると言っていたから、2月とか3月に入荷予定だったんじゃないですかね。海外製だからどうしようもないですよね」

“度重なる接種事故”が背景に「ワクチン後進国」となった日本

海外からの入荷に頼るしかない新型コロナウイルスのワクチン。国内での開発はどうなっているのでしょうか。熊本の老舗メーカー「KMバイオロジクス」の永里敏秋社長は、新型コロナウイルスワクチンの最終段階の治験を進めています。

(KMバイオロジクス 永里敏秋社長)
「来年度中にはもちろん供給を開始したい。それは3回目接種用、もしくは子ども用として考えています」
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目指しているのは、来年度中の実用化。アメリカのファイザー社製より、実に2年遅れです。なぜ、開発は遅れているのか。その原因はワクチンに消極的になった過去の歴史にあると永里社長はいいます。

(KMバイオロジクス 永里敏秋社長)
「『ワクチンは非常に副反応が強いから打たない方がいい』という風潮になっちゃって。(Q日本人はワクチンに対してネガティブ?)そうですね。『ワクチン後進国』とも呼ばれていますね」

日本が「ワクチン後進国」となった背景とされるのが、度重なる“ワクチン接種事故”でした。

1940年代に起きた「ジフテリア予防接種事故」

京都府宇治市の栗原敦さん。栗原さんの長男・雄さん(42)は1983年に「おたふくかぜワクチン」の副反応とみられる重い「てんかん」を発症。食事やトイレにも介助が必要なため、42歳のいまも障がい者施設で暮らしているといいます。

(栗原敦さん)
「これはだいたい接種の3週間くらい前、元気な時の最後の写真になります。良かれと思って子どもにワクチン接種をさせるんだけれども、ときにこういう問題が起こるということですよね」
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息子の事故の前にも同じような被害があったのではないか。調べて目に留まったのが74年前の接種事故でした。
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飛沫で感染が広がる「ジフテリア」。感染すると呼吸困難に陥って、“10人に1人が死亡する”といわれています。その「ジフテリア」がGHQ占領下の1948年、日本で大流行していました。1948年制定の予防接種法では、予防接種が法律で義務付けられ、従わなければ罰金3000円(現在の30万円相当)もありました。
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しかしその内実は、流行に危機感を抱いたGHQが、駐留するアメリカ兵を守るため日本政府に迫ったものでした。
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ところが、予期せぬ事態が起こりました。この年、京都と島根で乳幼児が接種後に次々と「ジフテリア中毒」を起こし、84人が亡くなりました。「ジフテリア予防接種事故」でした。生き延びた人の腕には大きな傷跡が残りました。接種した腕から「ジフテリアの毒」が入り込んだのです。
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原因のひとつはメーカー側の無毒化が不十分だったこと。もうひとつは自治体による安全検査で、担当者が確認を怠ったことによるものでした。

1994年に国は「接種の義務化」を撤廃…ワクチン政策に消極的になる

この事故を調べていた栗原さんらが国に掛け合った結果、ある資料を手に入れました。

(栗原敦さん)
「これだけ生々しく国の責任を認めている文書なんて、珍しいんじゃないですかね」
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「マル秘」と印が打たれた文書。そこには次のように書かれていました。

(文書の内容)
「国家賠償請求の訴訟が提起されたときには、国は敗訴を免れないかと思われる。相当額の慰謝料を支払い、訴訟の提起を防ぐのが得策と考える」

接種を義務付けた国は莫大な国家賠償をおそれ、裁判を避けようと、慰謝料として早々と1人10万円を支払ったというのです。“口封じ”とも言える対応でした。
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一方で、国はワクチンのメーカーを刑事告発し、メーカー担当者だけが有罪となりました。

わずかな慰謝料で責任を逃れようとした体質は、その後も続いたと栗原さんは言います。

(栗原敦さん)
「その後の予防接種の被害に関する国の対応の前例の一つになっているのは間違いないと思いますね」
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ところが1970年代、「天然痘」や「インフルエンザ」などのワクチン被害者たちは声を上げ、各地で集団訴訟を起こしはじめたのです。国は軒並み敗訴。ワクチン政策は転換を迫られます。
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そして、1994年に国は「接種の義務化」を撤廃。同時にワクチン政策に消極的になっていきます。

新型コロナウイルスの影響で変わり始めた国の政策

これで苦境に立たされたのが、ワクチンメーカーでした。国の後ろ盾を失ったことで、「多額の研究費がかかる開発に手を出せなくなった」とKMバイオロジクス 永里敏秋社長は振り返ります。

(KMバイオロジクス 永里敏秋社長)
「1990年代は『ワクチンをやってもしょうがない』みたいな風潮がございまして。国が接種を推奨しないのであれば、さすがに開発できませんのでね。全然ペイしないというか」
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こうして「ワクチン後進国」になった日本に新型コロナウイルスの嵐が吹き荒れました。国産ワクチンの重要性を痛感した国は、手つかずだった開発支援に乗り出しました。

(KMバイオロジクス 永里敏秋社長)
「今回の件で、私はずいぶん変わったような気がしますね。感染が起こったらすぐに供給ができる体制を費用をつかって投資して、国が後押しすると発表されていますので。今後の感染症に備えることができたらなと考えています」

「ワクチン後進国」と言われた日本は、新型コロナウイルスを機にようやく変わり始めました。