歴史小説家の今村翔吾さん。MBSでは、閉店の危機に陥る書店の経営に乗り出した異色の作家として去年11月から取材を開始し、今年1月上旬に番組で放送しましたが、放送から約10日後に今村さんは直木賞を受賞しました。あれから約1か月半が経ち、今村さんを取り巻く環境は大きく変わっているようです。その激動の日々に密着しました。
受賞で多忙な日々…サイン本の依頼も殺到
型破りな振る舞いで注目を集めた歴史小説家の今村翔吾さん(37)は、今年1月、第166回直木賞を受賞。一躍、時の人となり、自身を取り巻く環境がガラリと変わりました。
大きな新聞広告は全国43の紙面を飾りました。
睡眠時間もほとんどとれない多忙な毎日。サイン本の依頼も殺到です。
(今村翔吾さん)
「愛を贈る作業ですよ。これで喜んでもらえるんやったら、僕はやれるんやったらやりたいなという思いはありますね」
「夢諦めてるくせに」教え子の言葉に『衝撃』
MBSは直木賞を受賞する前から今村さんに密着していました。直木賞への道。その挑戦は必ずしも順風満帆ではありませんでした。
今村さんは小学5年生の時に街の本屋で出会った1冊の本をきっかけに歴史小説に没頭。小説家という夢をもちながらも30歳まではダンスインストラクターとして子どもたちを指導していましたが、ある時、教え子からこんなことを言われたといいます。
(今村翔吾さん 去年12月)
「『諦めなかったら夢はかなうよ』みたいな、『夢を諦めんなよ』みたいなことを僕が言ったんやと思うんですよね。ほんなら向こうから返ってきたのが『翔吾君も夢を諦めてるくせに』って言われたので…。それが一番衝撃的で、『30歳になってからでも夢はかなうと俺の人生で証明する』って言ったんや」
落選繰り返し…「人生怖かった」諦めずに挑み掴んだ『直木賞』
しかし、デビューを目指して書いた長編小説は文学賞で落選を繰り返し、自信は打ち砕かれました。
(今村翔吾さん)
「いやぁ、しんどかったよ。きつかったって認められない間とかみんな言うけど誰にも相談できないし、980円のちゃぶ台から始まっているから、いやー怖かった。自分の人生がどうなるかっていう怖さがあった。このままここに向かっていって」
それでも「30歳からでも夢は叶うことを証明する」その一心で、起きている時間のほぼ全てを執筆活動に費やします。そして、3度目の挑戦で直木賞を受賞しました。
(受賞連絡を受けた今村翔吾さん 今年1月)
「30歳になってからでも夢はかなうってことを残りの人生で証明するって子どもたちに言って作家を目指したから、ようやく嘘を実(まこと)にできたなっていう気持ちが。あーよかった」
廃業危機の書店経営も「地域に唯一残る書店の灯をなくしてはいけない」
去年11月、今村さんは執筆活動のかたわら、大阪府箕面市の廃業危機に陥っていた書店「きのしたブックセンター」の経営にも乗り出しました。
地域に唯一残る“書店の灯をなくしてはいけない”と、縁もゆかりもなかった地で挑戦を始めました。
直木賞の受賞直後の1月23日、書店に凱旋。店頭に立つと、今村さんを一目見ようと長蛇の列ができました。
(客)「このたびはおめでとうございます」
(今村さん)「ありがとうございます」
(客)「もともと縁もゆかりもないところで経営していただいて、本当にうれしいです。中学生の頃から来ている本屋さんなので感謝しています」
(今村さん)「中学生の頃からきているんですか?やってよかった、そう思ってもらえると」
あまりの好評ぶりに、大量に準備していた本も売り切れとなりました。
作品には石垣職人への取材から生まれた『フレーズ』や『場面』も
受賞作『塞王の楯』は近江の大津城を舞台に、“どんな攻めをもはね返す石垣”と“どんな守りをも打ち破る鉄砲”、その職人同士の対決が描かれています。戦いの陰で奮闘した職人同士に焦点を当てたユニークな視点が評価されました。
2月13日、今村さんがお礼に訪れたのは、作品を執筆する際に取材した滋賀県大津市の「粟田建設」。戦国時代に城の石垣づくりで活躍した近江の石垣職人集団「穴太衆」の末裔です。
作品に出てくる「石の聲を聴け」という重要なフレーズや、小さな石を投げて石垣づくりを指示する場面などは取材から生まれました。
(石垣職人 粟田純徳さん(53))
「石を選んだ段階で、ほとんど7割8割の仕事は終わっていると言っていいくらいなんで。そこのところが“石の聲を聴け”という。石の聲を聴いて持ってこいというのがある」
(今村翔吾さん)
「その話を僕は聞いておもしろいなと思ったし、一般的に見られているところって本当に一部で、その裏の苦労みたいなものはあると思った」
資料には残らない細部の描写が作品のポイントになりました。
(今村翔吾さん)
「だいぶ今回は取材のおかげですね。ほんまにこれがなかったら僕は書けなかったです。ありがとうございます。やっぱりこれ映画化やで、滋賀県頼むで」
「固定観念のない生き方こそ作家らしいと思っている」
直木賞を受賞しても「ただの作家では終わりたくない」。そこには出版業界を盛り上げていきたいという今村さんの思いもあります。
(今村翔吾さん)
「僕の思う作家というのは固定観念を打ち破っていく、作品の中でも打ち破っていく戦いなわけだから、ある意味こうやって固定観念のない生き方こそが僕は作家らしいと思っているかな」
そんな今村さんに憧れる子どもたちも、自身の経営する書店に大勢やってくるようになりました。
(小学5年生)「読んでたら自然に涙が出てくる」
(今村さん)「僕は5年生で真田太平記読んだ。全く同じ。いやー、めっちゃうれしい」
(今村さんの本を読んだ子ども)
「気さくな面白い人だなというふうに思います。将来の夢は作家とかになりたいと思います」
(今村さんの本を読んだ中学2年生)
「私あまり小説がそこまで好きではなくて苦手だったんですけど、今村先生の本はすごく読みやすくて面白かったのでハマりました」
「全国の書店や学校にボランティアで回ってみたい」
2月24日、「塞王の楯」を出版する集英社(東京・千代田区)の前を訪れると、壁に今村さんの特大パネルが登場していました。
直木賞の受賞から激動の1か月を過ごした今村さん。2月24日に東京都内で行われた直木賞の贈呈式のスピーチでは、夢を持つ大切さを語りました。
(スピーチする今村翔吾さん)
「今後も、いくらきれいごとやと言われても夢はかなう、夢はかなえる。夢はかなうと子どもたちだったり後輩たちに語り続けていくような男でありたい」
今村さんはすでに次のステップを見据えています。
(今村翔吾さん)
「47都道府県を車で移動して、全国の書店さんとか呼んでくださる学校とかあらかじめ募集して、そこにボランティアで回っていきたい。お礼行脚みたいなのをしたいし、誰もやったことがないからこそちょっと面白そうやなとは思っていて、それで喜んでくれるんやったらいいかなと」