1000年以上の歴史がある日本の伝統音楽「雅楽」。ところが今、美しい音色を奏でる雅楽器『篳篥(ひちりき)』が存亡の危機にあるといいます。楽器の一部として加工される、ある植物が十分に育っていないことが原因だというのですが、一体なぜ、そんな事が起きているのでしょうか。
雅楽で主旋律担う…縦笛のような楽器『篳篥』
日本の伝統音楽・雅楽。皇室の儀式などで演奏され、「ユネスコ無形文化遺産」にも指定されています。この雅楽で主旋律を担う、重要な楽器が『篳篥(ひちりき)』です。
篳篥は漆を塗った竹で作られていて、表と裏、計9つの穴がある、縦笛のような楽器です。
心に染み入る篳篥の音色。世界的に活躍する雅楽演奏者・東儀秀樹さんは、雅楽の価値はその歴史にあると言います。
(雅楽演奏者 東儀秀樹さん)
「雅楽の楽器全てそうなんですが、1400年間、音色も姿も演奏方法もまるで変わることなく生き続いているんです。生きている芸能なんです」
篳篥のリード部分に使う植物「ヨシ」が不足?
篳篥のリード部分は「廬舌」と言われていて、ここに息を吹き込み震わせることによって、音を出す仕組みです。
音色を左右する重要なリード部分。それだけに自分に合ったもののほうが使いやすく、演奏者自身が作ることもあります。
(天理教校学園高等学校・雅楽部職員 岡田庄平さん)
「ヨシをリードのサイズに切るんですけど、約5.8~6cmのサイズで切ります」
リード部分の材料は「ヨシ」と呼ばれる国産の植物です。自然に生えているものを収穫し、数年寝かせて、十分乾燥させて使います。ところが、最近は1年ほどしか寝かせていないものを使わざるを得ないといいます。
(天理教校学園高等学校・雅楽部職員 岡田庄平さん)
「普通はあんまり1年とかじゃ使わないんですけど、今は(ヨシが)少なくなってきて、もうそれ使わないと、そこに手を出さないと、僕の在庫はないんで」
篳篥に欠かすことのできないリード部分が今、異例の在庫不足に陥っているというのです。一体なぜ?
ヨシが群生している場所へ向かうと…
記者が向かったのは大阪府高槻市にある「鵜殿」と呼ばれる一帯。一見何の変哲もない淀川河川敷に見えますが、実は篳篥のリード部分の材料となるヨシの一大産地なんです。
篳篥の演奏者に提供するため、ヨシの収穫を行なっている木村和男さん(70)。ヨシが群生している場所へと連れていってもらったところ…。
(上牧実行組合 木村和男さん)
「信じられないですわ。見てくださいこの倒れ方。こんな状況です」
なぎ倒されるように、大きく折れ曲がったヨシ。雑草が絡みついた結果、十分に成長せず、リード部分に必要な堅さや太さが不十分なヨシになってしまっているといいます。
(上牧実行組合 木村和男さん)
「(ヨシの)太さを測るために一応、目安で持っているんですけど、12mm。これやったらちょっとまだ緩いから11mmくらいしかないんですわ、太さがね。これがきちっと入るくらいならちょうど良いんです」
2012年に撮影された同じ一帯のヨシの様子。いたるところに収穫に適したヨシが生えていましたが、今はというと…。
(上牧実行組合 木村和男さん)
「今年は全然ない状態です。もうダメですね。こんなこと今までないです」
取材した日、1時間かけて収穫できた“リードに適したヨシ”はわずか10本ほど。例年に比べて10分の1程度に落ち込んでいるといいます。
背景には“新型コロナウイルスによる野焼きの中止”
ヨシの成長が阻害されるほど雑草が育ってしまった背景に、新型コロナウイルスの影響があるといいます。
(上牧実行組合 木村和男さん)
「(Qなんで良いヨシが採れなくなった?)やっぱりヨシ焼き(野焼き)してないからやと思いますよ」
ヨシは地下1mほどまで地下茎と呼ばれる茎が広がっています。野焼きをすることで、地表のヨシと雑草はまとめて焼かれます。しかし、ヨシの地下茎は野焼きの影響をあまり受けず、その後、新たな芽が出て、良質なヨシへと育つのです。
ところが、おととし、去年と2年連続で野焼きが中止に。高槻市の風物詩とも言われる「ヨシ原焼き」は毎年1月に大勢の観客が見物に来ますが、新型コロナウイルスの感染拡大で観客同士の密を避ける必要があり、中止の判断をせざるを得ませんでした。
大阪の雅楽団体で篳篥を演奏する中川英男さん(88)も、このまま十分なヨシが手に入らない状況が続くと、雅楽の存続が危ういといいます。
(大阪楽所・代表理事 中川英男さん)
「雅楽存亡の危機やと今思います。後世に残せるように、そうでなかったら私らの代に雅楽がなくなったら申し訳ない」
「篳篥の歴史が途絶えてしまう」東儀秀樹さんら野焼き再開求め署名活動
こうした現状を打開すべく、雅楽の演奏者・東儀秀樹さんが動き出しました。
東儀さんらは野焼きを再開するよう署名活動を実施。「3年間、野焼きをしないとヨシは全滅し、雅楽の歴史が途絶えてしまう」と訴えたのです。
(雅楽演奏者 東儀秀樹さん)
「篳篥の音色が変わってしまう、あるいはなくなってしまう。本当に深刻さを味わってからではもう遅いというところですね。だから今のうちに何とかしないといけないという危機感が大きいです」
結果、集まった署名は1万筆以上に。こうした声は高槻市などに届きました。
3年振りに野焼き…高槻市“継続してサポートしていきたい”
そして今年1月、高槻市で新型コロナウイルスの影響で中止されていた野焼きが行われました。ヨシの育成を阻害していた雑草なども次々と焼け、3年振りに行われた野焼きは無事終わりました。
高槻市は「今後のヨシ原焼きの実施について継続してサポートしていきたい」としています。
野焼きが再開されたことに安堵する木村さん。今後も貴重なヨシを守っていきたいと話します。
(上牧実行組合 木村和男さん)
「毎年、なにがあってもヨシ焼きやらないといけないと思っています。来年採れなかったら、篳篥を演奏される方が困ると思います」
1000年以上続く、雅楽文化を支えるヨシ。伝統の継承は来年の収穫にかかっています。